漢服愛好家のぬぃです。
わたしは漢服とならんで、実はかなりの中国の磁器が好きなのですが、今回はみなさんにもその魅力をお伝えしてみたいと思っています(笑)
中国の磁器って、かなりいろいろなものがあるのですが、今回はその中でも明時代のものをご紹介させていただきます。日本ではほとんど馴染みのない作品もでてきますが、それぞれすごく個性的でおしゃれなので、ぜひお楽しみいただけると嬉しいです。
まず、とても簡単に明代の磁器についてお話すると、明代は皇帝が変わるごとにそれぞれ磁器の作風も変わっていきます。そして、どの皇帝のときも、時代の雰囲気を感じさせるように個性にあふれています。
たとえていうなら、いくつもの山があって、ひとつの山ごとにまったく趣きが違う……とでもいう感じでしょうか。そして、山によっては、もやもやとあやしげな煙や霧が立ち込めているところもあれば、ざりざりとするどい石がたくさんあるところもあり、穏やかに落ち着いたところもあり、きちんと手入れさせたところも、藤や葛が絡まり放題でごちゃごちゃなところもあり……というのをイメージしてください。
この記事をよむと、きっとみなさんの好きな山をみつけられると思いますので(笑)、ぜひ写真をぼんやり眺めるだけでもみていただけたら幸いです♪
ちなみに、磁器の種類などについては、こちらのリンク先にくわしく書いてありますが、すごくわかりやすく説明したverものせておきます。
- 青花:白い肌に青の模様を入れたもの。日本では「染付(そめつけ)」ともいいます
- 五彩:赤、青、黄、緑、紫の五色で模様をつけたもの。赤が目立つものを「赤絵」ともいう
- 金彩:金でかざられた磁器のこと
まぁ、実際はこれ以外にも地方の窯とかもあるのですが、それを入れると長くなりすぎるので、またの機会にしておきます。というわけで、明代磁器のきらきらな山々にご案内いたします。
洪武
まずは、明をひらいた洪武帝(1368~98)です。(一応、わかりやすいように在位年数も皇帝ごとにのせていきます)
洪武帝が明をおこす前は、中国には元がありました。いきなり明から入ってしまうのもあれなので、元のときの青花(青い飾りを入れたやきもの)をのせておくと、こんな感じでした。
なんていうか、青が太くてどすが効いているというか、力にみちています。もうもうと膨らみながらあふれでる雲が、すこし剪られた程度では全然おとろえない木々のように、ごつごつと生気に富んでながれています。
あまり繊細にくねくねしすぎていない大きい葉っぱ(下のほう)も、ちょっとがさがさしてそうです(笑)
そして、明に入るとこんなふうになっていきます。
……ひとことでいうと「ざりざりしてる」というところでしょうか。葉っぱの先が、手があたると切れそうなくらい鋭くなっています。そして、線はほそいのに、弱々しいという感じはしません。むしろ、きんと張り詰めた強さというか、硬さが入ってきています。
この覇気がびりびりとみなぎっている感じが洪武帝のときの磁器だとおもってください。これから大きくなっていく王朝の気魄にみちた時期という感じです。
永楽
つづいては、永楽帝(1402~24)です。
一気にエキゾチック&洗練された雰囲気です。
このとき、明は元の残りの勢力を追いやっただけでなく、西アジアや東南アジアまで船団を送りこんだりもしていて、とても外向きに開かれていた時期でした。
なので、西アジアの模様などをたくさん取り入れたり、もしくは西アジアっぽい水差しなどをつくったり……のように、やや異国調の匂いがするのが永楽帝のときの焼き物になります。
そして、西アジアから輸入された青の色が、この深くてあざやかなものです。深いのにつややかで濃やかという不思議な質感があって、とてもきれいです。
この永楽帝の時代では、とりわけ青花が有名です。堂々とした大きい形に、どっしりとしていて、それでいて重苦しくない安定感が、いかにも大帝の時代という雰囲気をおびています。
蔓草模様もほっそりしているのに、洪武帝のときよりもさらにするするとしなやかに伸びていく生気に富んでいるというか、流れるようになめらかで王道的な高らかさとでもいうのですかね……。(この永楽帝時代の青花は、のちの人からもっとも理想的な作風のひとつとされるくらいに好まれています。蔓が矛盾なく長く伸びている感じが、鬱勃とした生気に漲りすぎている洪武帝時代との違いです。)
宣徳
というわけで、お次は永楽帝のときとならんで青花の理想とされている、宣徳帝(1425~35)の時代になります。
これはまた大きく雰囲気が変わりましたね。さっきの永楽帝時代がするすると伸びていくしなやかさと、深い淵のような濁った青の底知れなさに魅力があるとしたら、こちらの宣徳帝時代のものは、青が薄くておだやかな浅瀬のようで、優等生的なきちんと感にあふれています。
永楽帝・宣徳帝のものはそれぞれ青花の理想とされていますが、こうやって並べてみるとかなり雰囲気が違いますね。
永楽帝は若いころから北のほうで辺境の守りをまかされて育ったタイプです。さらに、皇帝になるときも、中国全土を相手にして反乱をおこして皇帝になっています(反乱を起こしてそのまま皇帝になれてしまう人というのは、とてもめずらしいのですが)
一方、宣徳帝は、みずから絵を描くのを好んだり、内政重視にしていったりと、どちらかというと明の安定期にむかっていくときの皇帝です。
この二人の時代の違いというか、性格の違いが、青花のいろだけみていてもなんとなく感じられて、そういう意味でも明の磁器はすごく個性にあふれているとおもいます。
ちなみに、このあと、せっかく宣徳帝が安定させた明は、正統帝(1425~49)、景泰帝(1449~57)、天順帝(1457~64)の三代にわたってかなり混乱していくことになり、磁器も空白期となります。
というわけで、つぎに作風が大きくかわるのは成化帝のときになります。
成化
お次は、成化帝(1464~87)です。
いきなり個人的な好みをいうようでお恥ずかしいのですが、わたしは実は明代では成化帝のときのものが二番目に好きだったりします。
明がすこし乱れたあとの、またわずかに安定していくときが成化帝の時代です。この束の間の穏やかなやすらぎが、やわらかく繊細な青にあらわれている気がしませんか……。そして、小さい器が多くなり、淡くきちんとしたしっとり感も素敵です。
永楽・宣徳時代のものにくらべて、ちょっとぼんやりしているというか、明晰さを欠く模様も、すこしずつ明が疲れてくるときの様子を感じさせて、なんとなくかわいいです。
成化帝は、世の中はそれなりにおだやかにおさまっていても、宮廷内では道教に溺れたりがあって、人に隠れてこっそりと楽しむ器、というふうにもみえてきます(笑)
正徳
というわけで、今度は正徳帝(1505~21)です。
こちらはちょっと趣きを変えて、青花ではないものをえらんでみました。
黄色と緑のちょっとごちゃごちゃ感がたまりません。このあたりから明の後半になってくるのですが、明は後半になるとしだいにごちゃごちゃした焼き物がふえてきます。
ややべったりしているわりに不安定にみえる形といい、パリパリと浮ついている色彩といい、この落ち着かなさが明の後半をあらわしているとおもってください。
ちなみに、わたしは中国の磁器にところ狭しと埋め尽くすように描かれた吉祥模様が、王朝の末期になって、いよいよ空しくたくさん描かれている様子が大好きなのですが、このあたりからそういうもの悲しさを感じさせる作品がでてきます。
もっとも、ここはまだ後半のはじまりなので、明はまだまだたくさんのみどころがあります。
嘉靖
いよいよわたしの最も好きな嘉靖帝時代(1521~66)です。
どうです、この妖しさ、この俗悪さ、この力の無い吉祥模様がはびこりにはびこっているのに、全然霊力が宿ってなさそうな上辺だけの華やかさ……(すごく美しくないですか笑。ちなみにこれが金彩というタイプの磁器です)
嘉靖帝は、かなりの道教漬けというか道教まみれの生活をしていた皇帝なのですが、そのときの磁器もあちこちに瑞雲だったり龍だったり、ひょうたんだったりの道教的な吉祥模様があふれています。
嘉靖帝時代の宮中には、あちこちに祭壇がもうけられて、そこで香を焚いたり、像をまつったり、呪符が貼ってあったり、あやしげな修業をしているものがいたり……のような感じになっていて、その中にこういうキラキラと不穏にかがやく磁器があったとおもうと、ちょっとあやうい美しさを感じませんか(褒めてます)
そして、上にあげた写真でも、ごちゃごちゃとはなやかなわりに、まったく力強さを感じない龍が、不気味にうねうねとうねっているだけなのが、奇妙で虚飾的で成金趣味的な薄っぺらさにあふれていて大好きなのです(わたしはそういう趣味の人間です。これ、褒めようとすればするほどこういう語彙しか出てこないのです笑)
成化帝も道教にのめり込んでいた皇帝ですが、このときはまだ穏やかでみやびやかな感じだとすると、嘉靖帝のときは腐ったというか、病んで発酵しつつある美しさです。この金丹を練るための大きい鍋が、ごぼごぼと腐った色の液体をたんまり溜め込んでいるような毒々しさが嘉靖帝時代の魅力です。
しいてたとえるなら、成化帝のときはまだ表向きはきちんと収まっている感じ、嘉靖帝時代になると腐った金丹がでろでろ溢れ出ている感じですかね(もちろん褒めてます)。鍋の表面にまで溢れてきた腐り爛れた液体が、べっとりと塗られている感が、中国の歴代磁器の中でも妖しさにおいてNo.1です。
ちなみに、このあとの隆慶帝時代(1566~72)は、嘉靖帝時代のつづきのような作風をやや荒っぽくした感じになります。
万暦
いよいよ明が傾いてきて、磁器のうつくしさも爛熟してきます。
万暦帝(1572~1620)というと、いわゆる“万暦赤絵”が有名ですが、万暦赤絵も前半期のものはぎっちり描きこまれているのに、それでもまだバランスが取れているというか、ごちゃごちゃした構築美になっています。
このごちゃごちゃした構築、というところが、王朝のおわりごろの混乱を感じさせます。ですが、万暦帝の後半期になるとこれぐらい崩れていきます。
一目みておもうのが「これが同じ中国の磁器なの?」というくらいのぐちゃぐちゃ感です。前半期のぐちゃぐちゃした構築美、というものではなく、もはや形が保てていないような雰囲気があります。
明はそれ以前も北の遊牧民や、南の海賊勢力などに何度も荒らされたため、かなり疲れていたのですが、万暦帝のときになると、のちの清をおこす女真族や、日本の豊臣秀吉などがたびたび明をおびやかし、ほとんど立て直せなくなっていきます。
ちなみに、日本ではこういう崩れた万暦赤絵がわりと好まれていました……。なんとなくみていると、周りから苦しめられつづけて疲れて壊れていく悲しさがあります……。
この万暦後期の赤絵の模様って、なんていうか稚弱な悲しさがあるというか、粗製濫造されてしまったけど、どうにか無理やり表面だけは飾っている感があります(万暦帝のときは、かなり無理のある数の磁器を輸出用につくらせていたので、ひとつひとつがかなり雑になってしまいました)
天啓・崇禎
というわけで、いよいよ明のおわりです。こちらはかなり作風が似ているので、天啓帝(1620~27)・崇禎帝(1627~1644)をまとめて紹介させていただきます。
この明末のぼろぼろになった状態でつくられた五彩のことを、日本では「天啓赤絵」といいます。ちなみに、こちらの青花verのことを「古染付(こそめつけ)」といいます(古くて拙い味わいがあるのが魅力です)。
絵柄の特徴としては、チープでゆるいものが多いです。これらの作品は、民間の窯で焼かれたものが多いので、安くたくさんつくって、さらさらとゆるく絵をつけたような味わいになります。
あと、このときの焼き物は、日本に売るためにつくっていた面もあるので、日本で好まれるようなちょっと稚拙でキズのある感じをねらってつくられました。
こちらは天啓帝のときのものになります。こういうふうにお皿のまわりに花びらのような形があって、それぞれの中に模様が入っているのを「芙蓉手(ふようで)」といって、日本の江戸時代にかなり似たようなものがつくられます。
ちょっと大味で、末期の疲れにみちている天啓帝・崇禎帝時代のものは、中国よりもわりと日本で評価が高く、それを専門にあつめている美術館もあります。そして、そういう眼をもっている方があつめたものって、中国では見向きもされないものなのに、たくさん並んでいると何ともいえない味があってかわいいです。
というわけで、明の最後は不規則にくずれて、ちょっと汚れた感じになってしまった天啓帝・崇禎帝のときのものでした。枯れていくお花のような悲しいうつくしさという魅力が、この時期の特徴かもしれません……。
おわりに
いかにも百花繚乱な明代をご紹介させていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
荒々しさの洪武様式、エキゾチックで気品にみちた永楽様式、おとなしくきちんと落ち着いた宣徳様式、淡く雅やかな成化様式、キラキラ&ごてごてで妖しげな嘉靖様式、ぐちゃぐちゃとあでやかで散っていくような万暦様式、すかすかで諦めたような天啓様式など、こんなに多彩な作風がつぎつぎにあらわれる時期もめずらしいとおもいます。
みなさんはどれかお好きなものがみつかりましたでしょうか(ちなみに、わたしは一位は嘉靖帝、二位は成化帝、三位は永楽帝のときのものが好きです。まぁ、結局どれも素敵だとおもいますが)
いくつもの山がならんでいて、それぞれが個性にあふれていて、時代の質感などもたっぷり感じさせてくれる明代の磁器の魅力が、すこしでもお伝えできていたら嬉しいです。
ちなみに、明が滅んだあとには、明代の精華を吸ったうえで、さらに美しく技巧的に完璧なものをつくる清代の磁器がでてきます。さらには、明代のいろいろな作風を、独自のバランスでミックスして、そこからオリジナルの様式を生み出していく日本の伊万里焼もすごく魅力的です(こちらのリンク先でそれぞれ書いています)
というわけで、漢服とはあまり関係ないお話になってしまいましたが、中国の妖しくどぎつく不気味で優雅な極彩色の世界を、たっぷりと堪能していただけたら嬉しいです。
お読みいただきありがとうございました。