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日本の書の魅力(平安~鎌倉編)

 漢服愛好家のぬぃです。

 こちらの記事では、日本の書の楽しみ方について、わたしなりに思っていることを書いてみます。

 漢服とは関係ないお話になってしまいますが、もしおでかけした先でそういうものをみたときに、より楽しめると思います。まぁ、そんなこといいつつ、わたしも書は書けないし読めないのですが、それでもみているのは好きなので、ぼんやりとでも味わえる楽しみ方を紹介してみます。

 そんな感じでいいのかといわれると微妙ですが、もはや楽しい、惹かれる、美しい、癒される……という気分になれれば、何でもいいと思っています(もっといってしまえば、するすると綺麗な生地の手触りを楽しむようなつもりでいいと思います笑)

 みていてそういう気持ちになれれば、末節的な知識とか、もはやすべて忘れてもいいような気がしてくるくらい素敵なものなので、わたしなりの楽しみ方をご紹介させていただきます。(ちなみに、こちらの記事では、特徴をまとめやすい平安~室町時代の書について書きます)

感触をたのしむ

 書のもっとも簡単で本質的な味わい方は、「文字のもっている感触をたのしむ」ことだと思います。

 文字の雰囲気が、ごろんと広がっていたり、みっちりと並んでいたり、ぎちぎちに固まっていたり、ひらひらと揺れていたり、するすると軽かったり、ぼたぼたと重かったり、ひんやりと鋭かったり、ぬるぬると掴めなかったり……というように、いろいろな手触りや質感があります。

 もはや書いてある内容がわからなくても、それが味わえればいいという気がしてきませんか(笑)。……みたいなことを書いていても、その質感の味わい方があまり馴染みがなくてわからないかもなので、簡単に時代ごとに整理してみます。

 というわけで、いよいよ本編に入ります。

唐の書風

 ……といいつつ、やはり平安時代の書について書くためには、それの源流になった唐の書について書かなくてはなので、すごく簡単にふれておきます。

 日本では、奈良時代ごろに唐の書風が入ってきました。そのころの唐の書風がこんな感じです。

 こちらは褚遂良「枯樹賦」という作品です。硬質で緊張感のあるイメージで、冷たくて細いです。この優美なのに鋭い感じって、中国独特だとおもっています(日本だと、もう少しゆるくなる気がします)

 すごく雑な喩えをしてしまうと、中国の書は寒い中での梅のようなイメージ(ごつごつしているか、小さく痩せている木か)、日本の書はほんのりとしていて桜のようなイメージ(ぼってりと重い花びらか、ひらひら柔らかい花びらか)みたいに感じていて大丈夫です(笑)

 そして、全体が同じ細さで張り詰めているような、金属質な感じがあります。この金属を捻じ曲げたようなするどさと妙な粘り気が中国らしい“ぎちぎちがたがた感”です。

 というわけで、ここから日本に入ってくると、どのようになっていくかをみていきます。

平安初期(9世紀)

 まずは平安初期(9世紀)の作品です。

 この時期の雰囲気をひとことでいうと「唐様と和様の中間」です。

 平安初期って、なんとなく印象が薄い時代かもですが、平安遷都が8世紀のおわり頃なので、そこから9世紀まるごとくらいをだいたい平安初期みたいにわたしは思ってます。

 その時期は、じつは意外と中国風の文化が好まれていたときでした。ちなみに、中国といっても、藤原京~奈良時代は初唐ふう(唐のはじめ頃、618~712)、平安初期は晩唐ふう(唐のおわり頃、9c初め~907)のようなちがいがあります。

 初唐の文化は、匂うがごとく今を盛りとする花のような文化です。「霜を帯びた柳の葉は、霜に塗られていよいよ翠に、雪の中の梅の花は雪に濡れていよいよ艶やかに……」みたいなメロメロした詩が好まれたのが初唐です。

 晩唐の文化は、夕陽にてろてろと照らされた散る前の花のような文化です。「とろとろと広い水は夕陽に照らされて、ゆらゆらと曲がった島はぼんやりとして浅い緑につづいていき……」みたいなとろとろした詩が好まれたのが晩唐です。

 すごく簡単にかいてしまうと、初唐はきちっと着飾った華やかで繊細な色づかい、晩唐はやや崩れてとろんとした濃密な色づかいの文化です(上にのせた細くて硬そうな書は、初唐のものです)

 平安初期の日本では、中国ふうの文化が好まれていて、奈良時代よりもさらに中国に近づけた生活をしたい、というムードが高まっていました。その一方で、その元になる中国のほうが微妙に変質していたので、奈良時代と同じように中国文化を取りいれていても、その雰囲気は違うものになっていきます。

 ちなみに、こちらが晩唐ふうの書です(初唐が咲き始めの梅だとしたら、晩唐はちょっと軽薄な梅の花みたいなイメージ)

 そして、平安初期に中国ふうの書の名手として、空海・嵯峨天皇・橘逸勢(三筆)がよくいわれます。

 この三者は、それぞれ中国ふうの書を取り入れながら、自分のスタイルにしています。もっとも、自分のスタイルをつくるときは、晩唐風だけでなく、それ以前のものを好みに応じてまぜていますが……。(とくに空海と橘逸勢は、一度は唐にいったこともあるので、唐で好まれていた書を実際にみています)

 そして、こちらは嵯峨天皇の作品です。

 重厚でやや太くなるかと思えば、ところどころ緩かったり、うねうねしていたり……のように、晩唐の書よりもたくさん水が溜まっている感じがします(この水気が多いところが日本の書の味わいだとおもいます)

 というわけで、平安初期(9世紀)ごろの書は、中国ふうの重厚さや堅い粘りがすこしずつ抜けてきて、水気をおびているような質感だとおもって大丈夫です……笑。日本の書は、ちょっとたぷたぷしている可愛さがあります。

10世紀

 つづいては10世紀です。この時期のテーマは、ひとことでいうと「和様のはじまり」です。

 10世紀といわれてもイメージしづらいと思いますが、『古今和歌集』ができたのが10世紀はじめなので、だいたいその辺りから日本ふうの文化が好まれるようになっていくイメージでOKです。

 この頃に和様(日本ふうの書)を完成させた人として、小野道風・藤原佐理・藤原行成(三跡)が有名です。

 こちらはその中でも、もっとも早く和様の典型的なスタイルをつくった小野道風です。

 このぬるぬると滑らかにうねるような感触、するするねばねばと水気がさらに多くなって、平安初期よりもふっくらとした味わいがあります(書といわれると日本でイメージされるのはこういうタイプのような気もします)。

 一応はまだ漢字でかいていますが、漢字ひとつひとつがぼたぼたと散らした水のようにみえてきませんか。小さい沼がたくさんつながってうねうねとつづいているような印象とでもいいますか……。

 10世紀の書は、「それぞれはつながり過ぎていないけど、どこかぼたぼたとした沼がたくさん並んでいるような緩いような、やわらかい手触り」とでもいう感じですかね(笑)

11世紀

 ということで、つづいては11世紀なのですが、こちらはいわゆる「平安時代らしい平安時代」です(『源氏物語』などが生まれた時期です)。

 この頃は、平安時代らしい仮名の書が生まれてきます。そして、仮名をつづけて書くことも始まっていきます。

 ……そういいつつ、完全に11世紀に分けられる作品って、実はあまり見ない気がします。むしろ、10世紀終わり~11世紀だったり、もしくは11世紀後半~12世紀みたいな分け方が多いイメージだったりします。

 というわけで、10世紀のスタイルから11世紀の仮名完成期に入っていく作品を紹介してみます。

 こちらは仮名のもっともはじめのときに出てきた「継色紙」という作品です。

 ゆるゆると流れるようでありながら、どこかまだ固いというか、一定の細さで張りつめているものがあります。ですが、字をつなげていたり、それ以前の書の重厚さがなくなって、軽やかで洗練されたものになってきています。

 さらにすこしあとになると、こんな感じになります(こちらは「和泉式部続集切 乙類」というもの。11世紀後半~12世紀はじめくらい)

 やはり同じくずっと細い線でかかれていますが、ちょっとだけゆらぎや曲折を楽しむ余裕がある雰囲気になってきませんか。この「ゆらぎや曲折の装飾」がふえていくのが12世紀の仮名の特徴です。

12世紀

 そして、12世紀になると、いよいよ仮名の書は爛熟期をむかえていきます。

 そして、さっきの11世紀のところで薄々感じていた方もいるかもですが、この頃は色付きの紙をつかうことが多いです。

 この紙は中国(宋)から輸入されたもの、もしくはそれを真似て日本でつくったもので、模様や絵、金箔などが入っていてすごくきれいです。平安時代の書のもっとも大きな魅力は“紙の美しさ”にあるといってもいいかもです(笑)

 そして、12世紀はその紙の美しさがもっとも極まっていた時期です(12世紀は院政期にあたります。平安時代も爛熟していたときです。平安時代の書の魅力は12世紀にあるといっても過言ではないとおもってます)

 まずはこちらの紙をみてみてください(もはや紙が主役みたいな言い方だけど)。

 この左のほうに違う色の紙がわずかに入っていますが、これは「継ぎ紙」といわれる技法で、その継ぎ方のよって「破り継ぎ」「切り継ぎ」などがあります。ここでみえるのは破り継ぎです。この不規則な形と、やや唐突な配色が美しいですよね。

 仮名の書風も、全体がするするとなめらかにつながるのは当たり前で、そこにさらにふらふらと遊ぶような飾りを加えていて、とてもおしゃれです。11世紀のまだちょっと緊張しながら書いていそうな感じとくらべると、より技巧的で優美です。

 さらにもう一つ、個人的にもっとも美しいと思っている作品を紹介させてください。こちらは「本阿弥切」とよばれるものです(11世紀末~12世紀くらいのもの)

 これはもう和様の書の完成形だと思ってます。この植物模様の紙もきれいで、その上の文字も連綿となだらかで、無理やりつなげようとしているような堅さもなくて、いかにも平安時代らしい味わいにあふれています。

 というわけで、12世紀の書は、紙そのものの美しさと、11世紀よりもやわらかく装飾的で洗練された仮名がたくさん楽しめます。

13~14世紀

 この時期は鎌倉~室町時代にあたります。

 この頃の日本の書は、どこかちょっと崩れた魅力があります。日本ふうの書が一度は12世紀に完成してしまったとすると、ここからはその完成形を微妙に崩していく時期になります。

 こちらは伏見天皇の作品です。

 鎌倉~室町時代の天皇は、それぞれ独特な書や和歌をつくっていたりして、平安時代よりも自分の好みを全面に出している魅力があります。ちなみに天皇の書を「宸翰(しんかん)」といいます。

 伏見天皇の書も、12世紀のものにくらべるとちょっと粗いところがあるようでいて、それがむしろ乱世の味わいっぽいというか、鋭く切るような印象もあります。もっとも、鋭いとはいっても、中国ふうの硬い鋭さではなく、流れるような速い鋭さとでもいう感じでしょうか……。

 伏見天皇以外にも、鎌倉~室町時代の書はそれぞれ12世紀に完成した和様を、それぞれどこか太くしたり、いい意味で歪めたりしたようなアレンジが入ってます。

 あと、書が流派化していったのもこの時期です。いずれもちょっと太くなったり、ごつごつしていたり、自然にしていたり、漢字まじりにしていたり……というように、12世紀までのスタイルをもとにしています。

 流派化した書体って、いい意味で平凡というか、いいとこ取りの折衷派みたいなイメージがあります(これはこれで好きだけど、流れとしてまとめるのは難しいです笑)

 というわけで、13~14世紀あたりの書は、それ以前の作風を折衷&アレンジして崩した感じと覚えても大丈夫な気がします。

まとめ

 というわけで、平安~鎌倉時代くらいまでの日本の書について、すごく簡単にではありますがまとめてみました。

 さらに流れだけを整理すると、こんな感じです。

  1. 9世紀:唐様から和様になっていく中間のとき。三筆(空海・嵯峨天皇・橘逸勢)が有名。中国ふうの重厚で重々しいねばりがあるけど、ちょっと水分が多いような書風
  2. 10世紀:和様が生まれる時期。ただ、この頃はまだ漢字がメイン。三跡(小野道風・藤原佐理・藤原行成)が有名。ぬるぬるするするとなめらかでうねる漢字が多い。
  3. 11世紀:仮名のはじまり(和様の完成期)。一定のほそさで、どこか緊張しながらさらさらと流れるように書いているものが多いです。
  4. 12世紀:和様の仮名の爛熟期。11世紀よりも装飾的で、凝った模様のある紙をもちいている。かざりをつけることを楽しむような書風。
  5. 13~14世紀:和様の多彩な分派がでてくる時期。12世紀までに完成したものを、それぞれの好みによって、漢字をまぜたり、すこし粗っぽくしたり、重くしたりというアレンジが生まれる。

 これだけみると、なんかすごい雑なまとめ方にみえてしまいますが、これをなんとなく感じておくと、書の雰囲気をあじわうときに自分の好きな時期だったり、その好きな時期の中でもとくに好みのものだったりをみつけやすいと思います。

 おでかけ先でさらに楽しみが増えることを願ってかいてみましたので、もし少しでも魅力が伝わっていたら嬉しいです。漢服につつまれて、好きな作品をぼんやり眺める時間は、とても幸せなものになりますので、みなさんもぜひそんな時間を楽しんでください。

 あと、わたしの趣味だと中国の書のほうが好きそうに思われるかもですが、実際は日本のものも同じくらい好きだったりします。今回の記事を書くときに、中国のサイトで日本の書家がどのように評価されているかを読んだりもしたのですが、けっこう褒められていて、しかも褒め方が上手くて驚きました(笑)

ABOUT ME
nui
漢服愛好家。 埼玉の北のほうに棲んでます。漢服の魅力やコーデのつくり方、楽しみ方などを書いています。皆さまにも、上質で優雅なファッションで幸せな時間を楽しんでいただけるきっかけになったら嬉しいです。 クラシカルで貴族のようで、きちんと綺麗なファッションが大好きです。