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清代磁器の宮苑

 漢服愛好家のぬぃでございます。

 わたしは漢服とならんで、実はかなりの中国の磁器が好きなのですが、今回はみなさんにもその魅力をお伝えしてみる記事 第二回ということで、清代の磁器について書いていきたいとおもいます。

 ちなみに、一回目はこちらで明代のものについて書いております(第一回を読まなくても、今回だけでもわかるようにしてありますが……)

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清代のご紹介

 ところで、清代って、日本では明よりも知られていないというか、近い時代なのに謎につつまれているイメージがありませんか?(わたしは清代って、本格的に調べるまでかなり謎につつまれた世界でした)

 清の文化って、磁器でも文学でもかなり繊細で技巧的な洗練をきわめた美しさをもっています。その完璧さは、もはや人間技とはおもえないほどの歪みひとつない、もしくは歪む場合はわざと計算して歪ませる、というほど理知的で完璧なものになっています(明の磁器も十分にすごいのですが、さがしていくとまだ小さい粗があったりします)

 そして、清代の磁器は、大きくふたつの山があります。前半のほうには、さらに三つの大きな峰があって、その三つの大きな峰が、康熙帝・雍正帝・乾隆帝の時代です。この三代においては、それぞれ個性にみちていて完璧さも失わないという、奇跡のようなバランスの名品がつぎつぎ生まれています。

 一方、そのあとになるとしだいに清が衰えていく時期になるのですが、三つの高い峰がおわったあとには、しばらく低調な時期がつづきます。そして、清の衰退がいよいよ明らかになる出来事として「アヘン戦争(1840年)」が起こるのですが、このアヘン戦争より後の時代のことを「晩清/清末」といいます。

 こちらの晩清の磁器は、小さくてカラフルで、ちょっとキッチュなかわいさが魅力です。康熙帝~乾隆帝時代ほどの完璧さはないものの、衰退期のちょっとかなしい感傷性にあふれていて素敵なので、晩清の名品として紹介させていただくことにしました。

(ふつう、清代の磁器を紹介するときは、康熙帝・雍正帝・乾隆帝だけをみせて終わりなことが多いのですが、実はそれ以降もかなり魅力的な作品はつくられているので、三つの高い峰がおわったあとは、なだらかで優美な草花にみちた湿原がひろがっているような趣きがあります)

 ちなみに、磁器の種類をわかりやすくまとめておくと、こんな感じです。まぁ、下のリンク先にもより丁寧に書いてあるので、もし気になったらお読みいただけると嬉しいです。

  1. 青花:白い肌に青い模様があるもの。日本では「染付(そめつけ)」ともいわれます
  2. 五彩:赤・青・黄・緑・紫をメインに模様をかいたもの。日本では「色絵」「赤絵」などともいわれます。
  3. 琺瑯彩&粉彩:このふたつは実際はちょっと違うのですが、ここではまとめて紹介します。こちらも色付きの磁器なのですが、色のグラデーションが五彩よりもこまかくて、繊細な模様が多いです。
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 というわけで、清代の高級感にみちあふれた優雅で宮廷風な磁器の世界にご案内させていただきます。

順治帝

 まずは、順治帝(1644~61)です。

 清は中国の北東部あたりに住んでいた女真族がおこした国なのですが、明が内乱でほろんだときに中国に入ってきて、内乱をおさえこんで中国に定着します(1644年のことなので、日本は江戸時代はじめ頃になります)。

 そのとき中国に入ってきた清の皇帝が順治帝になります。もっとも、清が入ってすぐのときなので、その作風はかなり明の末期に似ているとされます。

 こちらが明の末期のものになります。(明末期の年号をとって「天啓赤絵」とよばれるタイプのものです)

 これはこれで味があるというか、さらさら~と描き散らしたような雰囲気になっています。そのちょっと粗末なクオリティが明末期のものなのですが、順治帝のときになると、明末っぽさを残しながら、やや地に足がつくというか、冷ややかな雰囲気になります。

 こちらは、さきにのせた天啓赤絵と区別して、「南京赤絵」と呼ばれていたりします。清代の始めごろの、ちょっと粗末なのかもしれないけど、天啓赤絵よりはどこか落ち着いていて、骨っぽい印象があります(あと、南京赤絵はかなり青をつかっているイメージです)

 あと、順治帝時代の磁器には、みじかくて含みのある詩が書かれていたりします。多くは桐の葉とあわせてかかれているので「桐 ひと葉落ちて、天下はみな秋(梧桐一葉落、天下尽皆秋)」だったり「黄葉のおちて、雁は南へ帰ります(黄葉落兮雁南帰)」みたいなぼんやりと味わい深く、どこかもの寂しげな作品が多いです。

康熙帝

 というわけで、つぎは康熙帝(1662~1722)です。

 康熙帝(こうきてい)のときになると、しだいに中国が安定してきて、清は周辺の国を併合してかなり大きくなっていきます。康熙帝はかなり在位が長くて、60年くらい皇帝の座にいます(中国ではもっとも長いです)

 ここから清の大繁栄は始まっていくのですが、康熙朝の作品の魅力をひとことでいうと「生命力に富んでいて、覇気がある」という雰囲気になります。

 まずはこちらをご覧ください。

 模様が上向きに強くのびていくような、余白を喰っていくような勢いがあるようにみえませんか。絵はかなり細かくて、それでいてかなり野生的な気魄がせまってきます。

 このねじれてぎゅるぎゅると突き抜けるようなエネルギーが、これから栄えていくオーラを感じますよね(笑)自然そのままの風景を、変に飾ったりせずに描いたような、野趣にみちた園林のような、横溢するエネルギーの湧き上がりこそが康熙帝のときの魅力です。

 こちらも康熙帝のときのものなのですが、自然のままに茂らせた庭園をおもわせる植物ですよね。この二点はどちらも五彩なのですが、さきほどのやや散漫な魅力のある南京赤絵とはちがって、ぎっちりがっつりと描きこまれて、力に満ちています。

 このふたつをみても、康熙帝の時代の雰囲気をなんとなく感じていただけたとおもいます。ちょっと伸び放題なくらいの溢れ出る生命力があるのに、全然だらけたというか収まりが悪いとかはなくて、かなり引き締められていますよね。

雍正帝

 というわけで、つづいては雍正帝(1723~35)になります。

 さきほどの康熙帝のときには、外に向けて拡大していたので、清はかなり赤字ギリギリになっていました。そんな状態をみて、雍正帝は内政重視&節約モードにしていきます。

 これによって、清は康熙帝のときのぎりぎりモードから、むしろお金に余裕があるまでに回復していくことになります。ちなみに、雍正帝は15年くらいで亡くなってしまいます(過労orストレスが原因らしいです……)

 ……という話だけみると、雍正帝は無趣味で渋い人だったようなイメージになってしまいますが、実際は雍正帝のときは中国の磁器のなかでもっとも美しい作品がたくさん生まれたとされているほど素敵な時代になります。

 ちなみに、清代の磁器は、ふつうは康熙帝・雍正帝・乾隆帝のときのものが高い評価をされていますが、その中でも雍正帝のときがもっとも手が込んでいて、しかも気品にみちた雰囲気とされています(わたしも雍正帝のときが一番好きです)

 まずはこちらをご覧ください。

 ……すごく繊細で宮廷風の洗練された作品ですよね。この“きちんとしているのに、情趣にあふれている”というところが雍正帝時代の魅力になります。

 もはや自然の風物がぴたりと止まっているかのような、ひややかで静かな感じというか、水につつまれているような雰囲気があります。

 あと、こちらの絵は「粉彩(ふんさい)」という技法でかかれています。

 この粉彩・琺瑯彩というのは、康熙帝・雍正帝のときに完成していった技法です。康熙帝のときにご紹介した五彩とくらべてみると、さらにこまやかで微妙な色彩がつかわれているのがわかります。

 雍正帝のときの磁器は、いずれも枝の曲がり方ひとつまできちんとお手入れされて、完璧な形をくずさないように整えられたお上品な庭園のような趣きにあふれています。ぴんと薄く硬く張りつめたような美しさがって、きゅうと凝縮した果実のような澄んだ濃密さと優美さがあります。

 そして、もうひとつ書いておくべきなのは、このデザインは雍正帝みずからがきめていた、ということです。

 官営の窯からみせられたデザインの中で、もし気に入らないところがあれば、皇帝みずからが直すように指示しています。なので、その頃の磁器はただ雍正帝時代の雰囲気をあらわしているだけでなく、さらに雍正帝の好みが色濃く入っている……ということになります。

 さらに、もうひとつ語っておくべきなのは、古い時代の磁器に似せたものもたくさん作っているということです。

 こちらは、雍正帝のときに、明代の永楽帝・宣徳帝時代の青花(しろい肌に青い模様のある磁器)を真似してつくったものなのですが、明代よりもさらに技巧的に完璧なものになっています。

 たとえば、明代の磁器は下のところがざらざらしている面になっているのですが、雍正帝時代のものは下のみえないところもつるんと丸くきれいな形に仕上げてあります。そして、明代の青花はところどころ色ムラがあるのですが、真似したほうになるとその色ムラすら人工的に再現していきます(なので、明代は不規則な色ムラがあるけど、清代の再現品は色ムラすら等間隔になっています

 この模様が完璧にすべての方向からみてバランスよくきれいに中央にあるのに、その中でゆらゆらと小さく繊細にゆれているような、きちんと感とひややかで上品な味わいが、雍正帝のときの大きな魅力です。

乾隆帝

 というわけで、いよいよ乾隆帝(1736~85)です。

 乾隆帝時代は、こちらも60年くらいつづきます(実際は、乾隆帝は退位したあとも生きているのですが、康熙帝の最長記録をやぶらないようにするため、みずから位をおりています。この在位年数の雰囲気が、この三代の個性をよくあらわしている気がします)

 この時期は、清は大浪費時代といいますか、大輪の花が一気に咲いていきます。

 清はこれでもかと今まで溜めてきた力をあふれさせていくのですが、後半になるとちょっと贅沢疲れというか、花を咲かせすぎた植物が、まだまだ華やかな時期ではあるけれど、どこか勢いはなくなって、いよいよ大輪の花になっていく……という感じがあります。

 そんなわけで、乾隆帝時代の磁器の魅力は、ひとことでいってしまうと「だらだらとみなぎるバロキズム」です。

 もはやあでやかというより、ねばねばとしつこい色彩だったり、偉容というか異形のように大きく豊かな形など、でらでらと巨大化した牡丹のようないびつさになります。

 まずは、雍正帝のときと比べるためにこちらをご覧ください。

 おなじく桃の絵を用意いたしました。ですが、こちらのほうが、枝が太くなっています。しかも、雍正帝時代はするするとなだらかにゆるやかに曲がっていた枝が、こちらではごつごつがたがたと曲がっています

 さらに、それだけでなく、桃も花も重そうなくらい大きくなっていて、葉っぱも大きくなるかわりに少し枚数が減っています。しいていうなら、雍正帝のほうが繊細で、乾隆帝のときのほうはやや大味にはなりますが、これはこれで魅力にあふれています。

(ちなみに、わたしは乾隆帝のときの様式が、清代の中では二番目に好きだったりします。もっとも、康熙帝・雍正帝・乾隆帝の三代の雰囲気は、人によっては好みの順番はふつうに入れかわってもおかしくないくらいに、それぞれクオリティが高くて魅力的だとおもいます)

 つづいては、こちらは古代の玉器を模してつくったものになります。

 でろでろと溶けたように流れ出る不思議な色です。雍正帝のときとうってかわって“熱っぽい”というか、だらだらと熱くて、しかもそれぞれが人を驚かすように壮大というか、みちみちと詰まっている感じがあります。

 この四角い壺も、重厚にずーんとそびえているような威圧感というか、ものものしさがあります。不穏なまでに手の込んだ人工物の極致、とでもいうのですかね(もちろん褒めてます)

 さらにこちらもご覧ください。

 もはや堂々としていて濃すぎるというか、青なのにみていると汗が出てきそうになる雰囲気がありませんか。この壺のお腹のところにある模様が、もわもわと成長しすぎたお花のある木々が、せまくなった庭につめこまれているようにみえてきます。

 康熙帝のときが、まだまだ作りかけのお庭に自然のままに勢いよく茂っている様子だとしたら、雍正帝のときはそのお庭をきちんとすみずみまでお手入れして、枝ひとつひとつまで完璧にととのえて作りこんだ様子になって、乾隆帝のときはそのお庭の木々がせまくなってきたけど、まだきれいに咲いていてみっちり溢れて絡み合いつつある様子とでもいうところでしょうか。

 みっちりつめこまれたお庭は、ちょっと苦しそうだけど、爛熟しつつある文化のうつくしさが本当に素敵です。

乾隆帝の余波時代

 つづいては、嘉慶帝(1796~1820)・道光帝(1820~50)なのですが、この時期はとりあえずこの記事では「乾隆帝の余波時代」というかたちでまとめさせていただきます。

 こちらは嘉慶帝のときのものなのですが、この虚仮おどしの龍がなんともいえません……。

 口を大きく開いて、身体をおおきくうねらせながら飛んでいるのですが、全然迫力がないというか、ハリボテ感がにじみ出ているような味わいがあります。

 このときの清は、乾隆帝のときの浪費がかさんだり、アヘンが売り込まれて赤字になったりというように、すこしずつ下り坂になっていくときでした。もっとも、1840年のアヘン戦争まではその問題は表向きにならなかったのですが、それでもなんとなく昔ほど安定していない雰囲気は漂ってきています。

 なんとなく下り坂だけど、まだまだ大丈夫そうな感じもする……というなんともいえない状態が、この迫力のない龍から感じるような感じないような……という気分になります笑。

晩清(もしくは清末)

 というわけで、いよいよ晩清(1840~1912)です。

 晩清って、こうやってみるとけっこう長いのですが、この時期ってあまり取り上げられることがないですよね……。実はわたしは晩清文化がすごく大好きで、このときの文学などがとても爛熟して技巧的で、それでいて上品な味わいがあってとても惹かれたのですが、この頃の磁器もとても魅力的です。

 晩清では、粉彩がかなりたくさんつくられます。まずはこちらからです。

 こちらは、咸豊帝(1851~61)のときのものなのですが、乾隆帝時代のようなずっしりとした感じはないですが、ほどよくお上品で、それでいてやわらかい抒情性にあふれているというか、宮中のひとつの場面を絵にしたようなうつくしさがありませんか。

 勝手なイメージになってしまうのですが、清のやや衰えてきたときの宮中って、あちこちのテーブルに小さい花瓶が置かれていて、そこにややどぎついけど、それほど主張が強いわけでもないお花がかざられていて、いくらか前の時代につくられた周りの装飾にやや埋もれながら置いてあるイメージがあるのですが、そういう場面がよく似合う作品ですよね。

 そして、康熙・雍正・乾隆年間のものって、ひとつひとつの作品性が強すぎて、ぼんやりながめるということが許されない緊張感があるのですが、こちらの晩清のものだとほどよく平凡で、おしゃれな雰囲気の中にとけこんでくれる感じがあります。

 こちらは、光緒帝(1875~1908)のときのものです。

 ひとことでいうと「カラフルでかわいい」です。

 光緒帝のときの粉彩は、地の色がピンクだったり、紫だったり、黄色だったり、水色だったりとちょっと人工的で、いかにも中国的なエッジのきいた配色です。

 なんとなくのイメージですが、中国っぽい模様だったり生地だったりを思い浮かべると、この粉彩みたいな感じになりませんか。それくらい、ちょっと凡庸ではあるけど、窓からみえる庭園の風景をちょっと切り取ったような、中国らしい雰囲気のエッセンスがつまった作品ですよね。

 もうひとつ、晩清の粉彩をご紹介します。こちらも光緒帝のときのものです。

 これはお茶を飲む器を下からみたものになります。清の全盛期ほどの完成度はないですが、表面だけはきれいに飾ってあって、お上品な魅力にあふれています。

 というわけで、晩清の粉彩は、ちょっとくずれている面もあるけど、それでもカラフルで人工的な色彩と、中国らしさをきゅっと詰め込んだかわいさにあふれていて、とても素敵だと思ってます。

まとめ

 清代の磁器のことについてご案内してみましたが、いかがでしたでしょうか。

 明の末期に似ているけど、どこか冷ややかで落ち着いている順治帝時代、これからいよいよ茂っていくような覇気と生気と勢いに満ちている康熙帝、静謐でつめたい水をまとったかのような気品のある雍正帝、だらだらどろどろと熱気と濃厚さを帯びたような乾隆帝、さらにはちょっと虚仮おどしなその後の時代があって、小さく気品にみちてかわいい晩清の粉彩……のように、宮廷の洗練された美意識がたっぷり味わえる世界ですよね。

 清代の磁器は、どこかきちんとしすぎていて取っつきにくいイメージがあるかもしれませんが、ながめていると宮廷の中にいるようなクラシカルで富貴なオーラにみたされる気持ちになれます。

 それぞれ違う時代の宮廷を感じさせてくれて、貴族のような幸せな気持ちにしてくれるので、ぜひぜひお見掛けしたときは、ゆっくり味わっていただけたら嬉しいです。

(きちんと細部までつくりこんで、丁寧でお上品なものにかこまれる幸せって、一回味わってみると、なかなか癖になるということでは、どこか漢服と似ているような気もします笑)

 かなりマニアなお話になってしまいましたが、お読みいただきありがとうございました。みなさんが素敵な時間を楽しむことにつながる記事になっておりましたら嬉しいです。

ABOUT ME
nui
漢服愛好家。 埼玉の北のほうに棲んでます。漢服の魅力やコーデのつくり方、楽しみ方などを書いています。皆さまにも、上質で優雅なファッションで幸せな時間を楽しんでいただけるきっかけになったら嬉しいです。 クラシカルで貴族のようで、きちんと綺麗なファッションが大好きです。