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伊万里の花鳥風月

 漢服愛好家のぬぃです。

 こちらの記事では、わたしがじつは大好きな伊万里焼の魅力をおつたえさせていただきたいと思っています。今回は、日本の伊万里焼についてかいていきます。

 わたしは中国の磁器も大好きなのですが、伊万里焼をみていると、中国っぽさもありつつ、日本っぽさもありつつ……という感じで、どちらの良さも楽しめるようになっているのを感じます。

 ちなみに、伊万里焼はかなり明や清などと深くかかわっているので、こちらの明や清の磁器についての記事もお読みいただくと、さらに鑑賞ポイントがわかって魅力が感じられるかもしれません。

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(ちなみに、今回お話するのは、江戸~明治初期くらいまでのものです。江戸時代の伊万里焼を「古伊万里」とよぶことがあります。あと、佐賀県有田町でつくっていたので「有田焼」ともいいます。伊万里はその焼き物を船につみこんでいた港の名前です)

 ということで、中国とのつながりなどもお伝えしつつ、わたしがいいと思った作品も例にしつつ、伊万里焼の魅力をお話していきたいとおもいます。

初期伊万里の染付

 まずは、初期伊万里(1610~40くらい)といわれるタイプです。

 伊万里焼は、豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに連れて帰った陶工から、いろいろな技をおしえてもらって生まれたので、もともとは朝鮮のスタイルから生まれています。

 とりあえず例をみたほうが早いとおもうので、作品をのせてみます。

 ……なんていうか、素朴で味わい深いというか、不思議なオーラにあふれています。

 初期伊万里の特徴としては、“みどりっぽい青”と“フリモノがたくさんついている”という二つです。

 まず、このときは染付(白い肌に青い模様がある磁器のこと。中国では青花といいます)がメインでした。でも、初期伊万里の染付は、やや灰色がかった肌に緑っぽい模様、ということが多いです。

 このちょっと濁った薄暗い色調が、かえって中国の洗練された技巧でつくられる染付にはない魅力になっています。どこかもの悲しいというか、沈んだ雰囲気があって、ながめているとぼんやりしてきて素敵です(笑)

 そして、器の肌をよくみてみると、あちこちに黒い粉のようなものがついています(青緑の模様とは別のものです)。こちらが「フリモノ(降り物)」というもので、窯の中で灰がくっついて固まったものになります。

 このフリモノは、人工的に再現するというより、たまたま自然にできてしまった汚れになるのですが、これがかえって天成の趣きを与えています。

 こちらも葡萄のお皿です。思いつきでするすると描いたような蔓がかわいいです。色の塗り方も、けっこうぼたっとおおらかなところがいいですよね(ちょっとお手入れされていない山野の植物のようにみえてきます)

 というわけで、初期伊万里の魅力は、自然で素朴で、どこかぼんやりと暗くて瀟洒な味わいになります。技術が未成熟なときにしか出せない、独特の味わいってありますよね。

中国化する伊万里

 つづいては、「中国化する伊万里」と題しまして、1640~60年くらいの伊万里についてお話していきます。

 この頃、伊万里は中国ふうの絵柄や技術をとりこんで、さらには中国に並ぶほどに洗練されていきます。

 もともと、中国の染付はフリモノなんてほとんど掛からない、というくらいに伊万里と中国の技術には差がありました。さらに、中国の磁器はヨーロッパや東南アジアなどにもたくさん輸出されるくらいの生産力もありました。

 ですが、1644年に明が滅亡すると、中国から逃げてきた陶工が伊万里に住みついて、より洗練された技術が入ってきます。

 それだけでなく、いままで明から磁器を買っていたヨーロッパや東南アジアは、明がほろんだ混乱によって磁器が手に入らなくなってしまいます。そんなわけで、かわりに磁器を作ってくれる伊万里をみつけます。

 これだけでも十分に伊万里が成長する条件はそろっているのですが、さらに中国の海禁政策によって、伊万里は東南アジアやヨーロッパへの輸出を独占できるようになります。

 海禁政策とは、明の一部の勢力が、中国のまわりにある小さい島に残って抵抗をつづけているので、それらの島に品物を送らないようにするために、海の上での貿易をすべて禁じたことです。この海禁は、1680年代までつづきました。

 中国の陶工が入ってきたり、さらには伊万里の磁器をたくさん買ってくれる国ができたり、中国が磁器の輸出をやめてしまったことなどが重なって、伊万里は一気に質をあげていきます。

 ところで、この頃の作品は、よくみるとかなり中国のものに似ていて、いいものもあるけど、まだまだ消化しきれていない感もあったりします。

 たとえば、こちらは上が明の嘉靖帝のとき、下が伊万里になります。なんとなく伊万里のほうは、後にあげる柿右衛門様式や金襴手様式にくらべると、色づかいにまとまりを欠いている気もしてきます。

 そして、ならべてみるとわかるのですが、中国のほうは原色どうしをぶつけるような緊張感のある配色、伊万里のほうはオレンジや朱色、クリーム色などの中間色を入れたやわらかい組み合わせになっています。

 中国的な爛漫とした花鳥画をかいていても、どこかおだやかで湿り気のあるような日本ふうの模様になっているのが、これはこれで味わいがあります。

 このタイプの作品は、実は東南アジアにけっこうたくさん輸出されていて、いかにも南国的でぼったりして乾いた色ですよね。ちょっと粗いところもふくめて、がさがさした感じがかわいいです。

ほんわりした柿右衛門様式

 というわけで、いままでは中国の模倣品をメインにつくっていた伊万里ですが、1670~90年くらいにかけて“柿右衛門様式”というスタイルができて、いよいよ伊万里オリジナルの模様が完成していきます。

 この柿右衛門様式とは、乳白色の肌のうえに、非対称のかたちで花鳥画をかいたものになります。柿右衛門様式については、赤がとりわけ印象的なので「赤絵」と呼ばれることもあります。

 作品としてはこんな雰囲気になります。

 繊細でやわらかいというか、ほんのりしていて、ほどよくやさしく整えられた自然、というところでしょうか。日本の家の裏口あたりに生えている小さい花と、そのまわりのわずかな植込み……という感じですよね(この余白が多いところも、ぎちぎちしている中国風から抜け出している感があります)

 木に止まっている鳥だったり、低木の下をあるく鶏、もしくは痩せてほそく曲がった梅の枝、低くならんだ垣根など、日本の山村や町のはずれあたりにありそうな風景がたくさん描かれています。

 この様式は、ヨーロッパの上流階級の間でとても好まれることになります。この雰囲気のアフタヌーンティーセットとかも、想像してみるとけっこうおしゃれです。日本ふうの絵柄とヨーロッパのロココ調などの相性の良さなども不思議な魅力です。

キラキラの金襴手

 いよいよ伊万里の輸出は全盛期をむかえていきます。1690~1750年くらいまでの間、ヨーロッパでは伊万里の金襴手(きんらんで)がもてはやされます。

 こちらが伊万里の金襴手です。

 とにかく大きい&濃い&きらきらしています。西洋風の絢爛な宮殿においても、ぜんぜん埋もれない存在感がすごいです。

 伊万里の金襴手は、オレンジ・ベージュ・ネイビーの三色を基調にしています。この中間色をメインにした組み合わせが、中国要素を吸収している頃の伊万里にどこか通じているとおもいませんか……。

 もうひとつ、こちらも伊万里の金襴手です。

 ヨーロッパに輸出された金襴手は、ほとんどは実用品というよりも、宮殿の調度品として用いられました(少しは実用品もあったけど)。なので、実際にものを入れるというよりも、大きくて模様が綺麗で、飾って美しい……というものが好まれています。

 ちなみに、中国は1680年くらいから海禁政策をゆるめていくのですが、ヨーロッパにふたたび磁器を輸出していくときに、むこうで伊万里の金襴手が好まれているのをみて、はじめは伊万里の模倣品をつくったりもしています。

 こちらが中国でつくられた伊万里ふうの金襴手です。

 なんていうか、すごく目がチカチカします(笑)

 伊万里っぽくオレンジ・ベージュ・ネイビーをつかっているのですが、どこか色がパリパリと浮いてしまっているというか、落ち着かない気分になります。伊万里のよどんだ翳りのある色って、ふしぎな馴染みの良さがあるのが改めて感じられます。

 あと、この頃は国内でも金襴手が好まれてきたので、国内向けのものもつくるようになりました。

 こちらが国内用の金襴手なのですが、やや小ぶりなお椀などの実用品がメインになっていました。ヨーロッパ向けのものと違って、濃厚な柄もややひかえめにされています。

 というわけで、ヨーロッパで大好評になって、ロココ時代の貴族たちを魅了した伊万里でしたが、しだいに安価な清朝の磁器に押され気味になっていきます。そして、1750年代にはほとんど輸出もなくなってしまい、そこからは国内向けの器をつくるようになっていきます。

 江戸時代の後半の伊万里については、だいたいの場合はほとんど紹介すらされないことが多いのですが、こちらの記事では「江戸後期の伊万里」というかたちで簡単にふれてみたいと思います。

 ですが、その前に伊万里とならんで、もうひとつ紹介しておきたいものがありますので、そちらを先にかかせていただきます。

上流階級の様式美  鍋島焼

 というわけで、鍋島焼のご紹介です。

 実は伊万里の窯は、いずれも鍋島藩(佐賀藩)の中にあったのですが、それらはすべて民間の窯でした。

 一方、こちらの鍋島焼は、藩が官営している窯でつくられたものになります。鍋島焼はもっぱら大名家の間での贈答品としてもちいられたので、民間にもヨーロッパなどの海外にも出て行くことはほとんどありませんでした。

 こちらが鍋島焼の作品です。

 こちらのものは、染付の青と赤い花になっていますが、鍋島焼では染付+色絵だったり、染付+青磁(光沢のある緑っぽい磁器)のような、いくつかの技法をミックスした作品もたくさんつくられています。

 そして、模様の描き方も、実際の風景というよりは、やや抽象化&様式化されていています。もうひとつ、こちらもご覧ください。

 これ、すごくよくないですか……。伊万里がちょっと中国ふうの味も入っているとすると、鍋島焼の風物はいずれも純和風というか、ちょっと京都っぽい感じもあります。

 大きい日本屋敷の深いお座敷の奥から、お庭をちょっと眺めたような、そんな感じの絵が多いですよね。技巧的に洗練されているというのもありますが、鍋島焼はどちらかというと“雅やか”というイメージで、春の日のほの暗い屏風の裏のような、のどかだけどもわっと水気の多い感じがあります。

 もうひとつ、こちらは糸巻きの絵です。

 初期伊万里が山野や沼沢のおもむきだとしたら、柿右衛門様式は町や井戸端に生えている小さい木のような趣き輸出用の金襴手が大商家や悪趣味な貴族(ほめてます)というイメージになりますが、鍋島焼はどこか平安趣味をおもわせるお部屋に似合いそうです。

 伊万里のもっている油っぽさがなくなっているというか、あわく澄んだ水のようなあじわいが鍋島焼の魅力です。

江戸後期の伊万里

 というわけで、いよいよ江戸後期の伊万里焼についてです。

 江戸後期になってくると、輸出用のものをほとんどつくらなくなるので、国内向けに安価で小さい器がメインになっていきます。

 こちらをご覧いただくと、かなり模様が簡単になっていて、しかもさらさらと描けるように形式化されているのがわかります。そして、模様の配置がやや散漫というか、あやふやな感じになっていきます。

 まぁ、これはこれで味があるのですが、柿右衛門様式や金襴手のときのような、名品とされるような作品性の強いものはなくなって、実用品メインになります。

 そして、明治時代になって工業化がすすんでいくと、しだいに手作業の伊万里は押されていきます。……といいたいところですが、実はここで伊万里は最後の一華を咲かせます。

 こちらをご覧ください。

 この写真の、右側にある大きいつぼ、わたしの背より大きいのです。そして、ぎっしりと描きこまれた模様と、それまでの色づかいにとらわれない微妙な配色、複雑な模様の組み合わせ、さらにはここまで大きくしてもまったく狂わない形など、いわゆる明治初期の“超絶技巧”系の工芸品として、ふたたび西洋でもてはやされます。

 左奥にあるふたつも、おなじく明治時代の伊万里のつぼなのですが、こちらもほとんどわたしの背くらいありました。輸出用の金襴手をさらに大きくしたような、それでいて模様の組み合わせなどもあちこちを小さく区切って、その中にぎちぎちに詰め込む構成など、まったく衰えがみえません……。

まとめ

 ということで、おもに江戸時代の伊万里焼についてお伝えしてきましたが、いかがでしたでしょうか。

 簡単にながれを整理してみると、こんな感じになります。

  1. 初期伊万里:1610~40頃。染付がメインで、自然の風景をそのまま描いたような山野の趣きがあり、フリモノなどの偶然のキズすら魅力にしてしまう味がある
  2. 中国化していく時期:1640~60頃。明の滅亡によって、中国の陶工が入ってくることになり、伊万里の技術が大きくすすむとともに、中国ふうの模様がふえていく。東南アジアやヨーロッパに輸出もするようになります
  3. 柿右衛門様式:1670~90頃。伊万里オリジナルの様式ができてくる時期。ほんのり濁った白に、赤が印象的なほんのりした花鳥が描かれる。ちょっと家や町のまわりの草木を描いたようなイメージ
  4. 金襴手様式:1690~1750頃。重厚で洋風の建築にもなじむような華やかさをもっている。ヨーロッパにたくさん輸出され、おもに装飾品として用いられることが多いです。
  5. 鍋島焼:民間の伊万里とは別に、藩でつくっていた磁器になります。どちらかというと、純日本ふうor平安情緒あふれるような、清冽でおだやかな魅力があります。
  6. 江戸後期の伊万里:伊万里がヨーロッパに輸出されなくなると、国内メインの小さくて実用的なものをつくるようになります。模様は簡略化されて、たくさんつくること重視です

 ちなみに、わたしは輸出用の金襴手がもっとも好きです。二番目はちょっと粗削りな初期のものですかね。

 どうでもいいですが、『千と千尋の神隠し』で湯婆婆の部屋につづく廊下で、ものすごく巨大な磁器がたくさんならんでいるシーンがあるのですが、あれはたぶん輸出用の金襴手ですね(笑)

 ……とかいいつつ、一応念のため画像を調べてみたら、ちょっと明治の超絶技巧系も入っているような配色でした笑。あの洋風メインのお部屋にぎっちり磁器をならべるあたりが、なんとなく再現度高いです。

 あの部屋全体の、どこか濁って沈んだというか、ぼんやりした色を基調にしているところも、なんか伊万里っぽいです。

 まぁ、こんな話はどっちでもいいのですが、伊万里の磁器は、和風でも洋風でも似合うので、もしおでかけ先でみかけたときには、こちらの記事がきっかけになって、たっぷりと鑑賞して魅力を感じていただけたら嬉しいです。

 お読みいただきありがとうございました。

ABOUT ME
nui
漢服愛好家。 埼玉の北のほうに棲んでます。漢服の魅力やコーデのつくり方、楽しみ方などを書いています。皆さまにも、上質で優雅なファッションで幸せな時間を楽しんでいただけるきっかけになったら嬉しいです。 クラシカルで貴族のようで、きちんと綺麗なファッションが大好きです。